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    "542 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2013/05/12(日) 09:46:29.46 ID:KV/YFQiR
    バイト中に女性がレジに缶詰を持ってきたので「お箸はご利用になりますか?」と
    言ったのだが、よく見ると猫缶で、クレームを覚悟しながらお客さんの顔を見たら、
    にこっと笑って『いらないですにゃー』って言われて惚れそうになりました。"
    — 1週間前・リアクション471件
    "最初に学ぶべきスキルは、コンピュータサイエンス(とくにアルゴリズムとデータ構造)、ソフトウェア工学(設計論、開発方法論、テスト技法など)の2つ。これが基礎。そのうえで、広く、深く、学んでいって欲しいんですよ。なのに、世の中には基礎を学んでいない人が多すぎる。 ついでに言うと、流行技術(の表層だけを)を追いかけるのは不毛。コンピュータの基礎は30年前の知識がいまだに使える。それがあれば最新技術などいつでもキャッチアップできるのです。(コメントより転載) 結局のところ、コンピュータの動作原理やアルゴリズムの基礎は変わってないのでね。"
    — 1週間前・リアクション23件
    "(女性歌手がソウルミュージックに憧れすぎて国籍不明になってる系は苦手)
    (男性が歌唱力をふんだんに使う系も苦手)
    (下手なケータイ小説に出てくるような文言が歌詞に並ぶ系も苦手)
    (仕事をちゃんとしてないような男性が集まったグループが「友情友情!お前に会えてよかったぜ」みたいなことを歌ってる系も苦手)"

    NO MUSIC NO LIFE!の巻き - まきずし大作戦

    わかるわー!

    (via champlasonic)

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    (via ume75)

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    — 2週間前・リアクション1487件
    "1. 1時間以上のミーティングをしたものは死刑
    ミーティングが1時間以内に収まらない場合は根本的な過ちがある。まずはそれを正すべき。

    2. 全てのミーティングは明確な目的が必要
    ミーティングの目的を簡潔な短文で定義できますか?

    3. ミーティング前に宿題を済ませる
    「ミーティングルームに入る前に宿題を済ませて準備ができている」事が、1時間以内にミーティングを終わらせる秘訣です。

    4. 任意参加にせよ
    必須参加は甘えです。ミーティングの参加者はそこに居たいと思っているべきです。

    5. ミーティングの最後にやることを決める
    なにもやることがないとすれば、そのミーティングは存在している理由がない。"
    — 2週間前・リアクション1436件
    "一人が独創的な発想をしても、それが独創的であるほど誰も理解ができない。必ずそれが独創的であると認める者が必要であり、必然的に独創性とは集団芸であると言える。これが松本人志の言う「すごいものが世に出るには、考えるアホと認めるアホと形にするアホの3人が必要」という3アホ理論である。"
    — 2週間前・リアクション1159件
    "

    私が高校のとき、私は数学だけは成績が良かった。だから数学の授業で教師の話は全く聞かずに「大学への数学」をやったり、「数学セミナー」を読んだり、院試の数学の問題を解いたりして暇を潰していた。定期試験ではいつも授業の範囲を無視して解答していた。それゆえ、正解なのにバツをされて答案が返ってくることが多々あった。採点した教師が私の解答を理解できないからだ。

    バツが不当だからと私は数学の教師のもとに抗議に行くわけだが、その教師はたいてい私の話を理解できず(その教師はFラン大学の出身だった)、仕方ないので私は数学の学年主任(その人は京大の数学科出身だった)のところに持って行って、その人に私の答案を採点した数学の教師を説得してもらうのが常だった。

    しかし、あるとき、私はいちいち抗議に行くのが面倒くさくなって、抗議に行くのをやめてしまった。どうせテストの点数が95点でも100点でも成績が5段階評価の5であることには違いないし、まして、この数学の担任に採点の間違いを認めされたところでそれは自分にとっては何の益もないことだからだ。

    いや、嘘だ。その話は正確ではない。もう少し正確に言うなら、「この担任が理解できようが理解できまいが、数学的に見て正しいものは正しい」と私はある日、気づいたからだ。その担任の鼻を明かし、私自身の矮小なる自尊心を満たしたところで仕方がないのだと気づいたからだ。

    そのことに気づけたことは、私にとってまさに僥倖であった。ああ、それこそが数学なのだと思った。数学的な“正しさ”が、個人の感覚や判断などに依拠してはならない。論理的に正しいものは正しいものとして存在しなくてはならない。誰かに理解されようが理解されまいが、正しいものは正しい。そして、自分は正しいものだけをしゃにむに追求していけばいい。それこそが学問なのだ。

    何故、私はそのことに気づけたのだろうか?

    それはたぶん「ペアノの公理」の定義を私が初めて見たときからだ。その定義を見て、私は何故か涙が止まらなくなった。それは自分でも訳がわからない体験だった。

    高校生でも多分名前ぐらいは知っていると思うのだけど、ジュゼッペ・ペアノという人が1891年に「ペアノの公理」を定義して自然数全体を公理化した。数のなかで一番根源的な存在である「自然数」が公理化できるということそれ自体が数学の“健全性”(正統性)を示唆しているとそのとき私は思った。

    涙がとまらなくなった理由は、いまにして思えば、きっと「ペアノの公理」が「自分はこの数学の世界に棲んでいていいのだ」という安心と安らぎを与えてくれたのだと思う。「ペアノの公理」こそが自分の存在を肯定してくれ、「自分なんて死ねばいいのに」と思っていた私を「自分なんて死ななくてもいいのに」と思わせてくれた。「ペアノの公理」が「自分がこの世界に生きていていい」ということを担保してくれているように私には思えたのだ。

    誰かに理解してもらう必要なんてない。教師や友達に自分のことをわかってもらう必要はない。自分は自分が正しいと思う道を、自分が正しいと思うやりかたで突き進めばいい。数学の教師が一人もおらずいや人類さえもが地球上に誰ひとり存在しなくとも自然数は荘厳とそこに存在しているように、誰ひとりあなたのことを理解していなくとも、あなたはいつも正しく、そして、あなたはこの世に存在していて良いのだから。

    "
    — 2週間前・リアクション1719件